今、ここには完全な自由があります。
すべての苦しみが今は終わっています。
そして外にあるものは内面の投影であることがわかったので、
ひとりの人でも苦しんでいる限り、
それは私の苦しみなのです。
あちらとこちらという分離はありません。
Byron Katie「 タオを生きる 」より
先週、第37話をアップロードしました。
「外にあるもの」が内面の投影であるならば、
私が「所有」しているものの正体は
私という錯覚の影。
「苦しみ」の大きさが「私」の大きさであるならば、
「今」の中に私は存在せず、
すべての苦しみが今は終わっています。
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「私は誰?」というあなたの質問に、
あなた以外の誰も答えることはできない。
ー あなたが答えを知るだろう。
すべての瞑想の手法は偽物を破壊するためのものだ。
それらはあなたに本物を与えはしない。
ー 本物とは与えられることができないものだ。
与えられることができる物は本物ではありえない。
あなたはすでに本物を手にしている。
ただ、偽物を取り去る必要があるだけだ。
別の言い方で次のように言うこともできる。
マスターとは
あなたからあなたが本当は持っていないものを取り上げ、
あなたにあなたが本当に持っているものを与える人のことだ。
OSHO 「Courage」
3日前、第38話を録音しました。
これまで37回掛けて話してきたことの、
はじめて一つ先の話になった気がしています。
ーーー
分離した個人を前提としたメッセージばかりが溢れていますが、
そうではないメッセージであれば、小さな声でも誰からでも。
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一昨日、第36話をアップロードしました。
昔読んだ魚川祐司さんの二冊の本を改めて読み直してみました。
講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)
放送の中で上記2冊を読んだのは「6〜7年前」と話していますが、
「講義ライブ だから仏教は面白い!」のkindle電子書籍版の、
前編の発売日が2014年12月なので、およそ「5年前」でした。
訂正してお詫びいたします。
2冊とも仏教関連ではとても有名な書籍なので、
読まれた方も多いかと思います。
「仏教思想のゼロポイント」の方が記載が専門的で、
すでに仏教に親しんでおられて、
少しでも正確な記述を期待される方はオススメです。
一方、「講義ライブ だから仏教は面白い!」は、
くだけた語り口調の対話形式で、
若い方でも非常に読みやすい本ですので、
興味を持たれた方は是非どうぞ。
ノンデュアリティが決して目新しいメッセージではなく、
とても古いものであることが解ります。
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分離した個人を前提としたメッセージばかりが溢れていますが、
そうではないメッセージであれば、小さな声でも誰からでも。
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先週「所有」という
とても大きなテーマだと思っていた話
を録音しましたが、
色々悩んだ末に
この話をアップロードする前に、
一つ別の話を挟むことにしました。
敢えて避けてきたテーマですが、
この先このラジオを聞いて頂くときに、
一度は触れておいた方が良いのではないかと
改めて思い直して本日録音しました。
11月14日夕方、アップロード予定です。
(「所有」の話は第36話ではなく第37話となる予定です)
第35話では、名前を付けることが、世界を
分けて、
矮小化して、
静的にする
行為であることを話ました。
もしあなたがここを出るときに何かをもって出るとすれば、
そのときにはまだあなたは何かをもった誰かです。
「私は今これをもっている。
これは私のもので、
私はこれに何かをすることができる」
もしここで本当にこれを聞くことがあれば、
そのときには得たり知ったりするものは何もないことがわかり、
ただ見かけで起こっていることがあるだけでしょう。
どこへも行く必要がなく、
どんな目標もありません。
褒美の人参もなく、
何の賞もありません。
存在するすべてはこれです。
しかし、
「起こっていることがまさに存在である」
と、
「それは自分に起こっている」
との間の違いは、
途方もなく大きいのです。
トニー・パーソンズ 「何でもないものがあらゆるものである」
一昨日第36話を録音しました。
「所有」というとても大きなテーマを扱った回になりました。
明後日の夕方、第35話「名前」をアップロード予定です。
こちらは第31話の続きのような回になりました。